溶け融けの月

かきたりないからかいてるの

交友関係を広げようとしているうちに、

自死遺族の人と知り合って話す機会ができた。

極度の孤独癖と自殺コンプレックスを抱えている人だった。当たり前だ。

見た目は普通の、どこにでもいそうな青年だった。

シンプルな生活を送っていそうだ、という印象を受けた。


過去は歪みに歪んでいるとわたしは感じた。

それは彼自身も自覚していることだった。


しかし、わたしがそれを「歪んでいる」と指摘していいのかどうかは分からなくなった。

「歪み」は醜いものだろうか?

そんなことはないと思う。

しかし、「歪んで」いては、型にはめるのが主流の社会ではどんなに居心地が悪いことだろう。


この人なら、わたしが隠し持ってきた狂気を受け止めてくれそうな気がすると思ったのも束の間、

メールで送られてくる狂気に晒されて、わたしの心は病んでいく。


メールでも直接相対していても、自分の本当の感情をさらけ出すことの少ない自分が、

かなり感情的になって反論したりした。


感情的になるのは、押し殺すよりも苦しいと思ってしまった。


日常に帰りたい。

何もなかったことにして、そんな存在はなかったと全て忘れて、退屈な日常に帰りたい。


狂気の淵を覗き込めば、引き摺り込まれて戻れなくなりそう。

ボーダーラインを踏みながら、好奇心と正気で動けないままでいる。